小説のプロットをつけておこう。①
こんばんは。寝たいです。
寝たいと呼んでください。すみません嘘です。
サブアカウントで書いていた、「平成最後の夏を超えられなかった人の話」というお話のプロット、4分の1くらいですけど載せておきます。自分で確認したいと思いまして。
平成が終わる前にサッサッとげんふうけいみたいに2ちゃんに上げようかな?
あ、いまは5ちゃんって言うらしいっすね。(どうでもいい)
平成終わっちゃうもんなあ。
うーん。
うーん。
「越せないわたしを」
今から全力で急げば間に合う、電車もある、無心で走って電車に間に合ったが、なぜか扉の前から一歩も動くことが出来なかった。必然として扉は閉まり、もう戻らない電車は遠く向こうへ去っていく。びっくりするくらい空の青い日和だった。
— 響だョ。 (@piyopiyomiku1) March 25, 2019
コンビニとランドリーとアパートを行き来して、引きこもりのように過ごしている。なぜあの日電車に乗れなかったのか、少しだけ考えていた。恐らくあの瞬間に、「これからもずっとこんな日々が続いていく」ことが分かってしまった。いや、正確には今までもそのことには気づいていたのだろう。
— 響だョ。 (@piyopiyomiku1) March 25, 2019
それは下腹部に疼きを齎すような青く温い風の匂いで気付いた。気がつけば平成最後の夏が目の前。人気の多い夜の時間帯、ランドリーに向かうときに、人の放つ温度とか街の匂いが斯様に変わりつつあった。巷では平成最後の夏だなんて甘い言葉で呼ばれていた。わたしには知りもしないことだったが。
— 響だョ。 (@piyopiyomiku1) March 25, 2019
何もしていないので、書くことがなかった。日記を書き始めたばかりだというのにあまりにも先行き不安だ。たぶん、明日もないな。
— 響だョ。 (@piyopiyomiku1) March 25, 2019
最近気が付いたのは、東京は基本的に人に優しくない街だけど、夜の街明かりはとても優しくて綺麗だということ。12年越しの発見。
そのあと、わたしの心象を表現するように梅雨が来た。人生で一番悲惨な梅雨を過ごした。そしてこれは後になって気づくのだが、この時期の悲痛が最後の最後まで、わたしの人生に禍根の尾を引くことになった。
— 響だョ。 (@piyopiyomiku1) March 25, 2019
なぜだか分からないけれど、ひどく、ひどく悲しかった。理由らしい理由は出てこなかった。
帰りの傘の中で、ただ、この感覚について考えていた。鳴り響くノイズが頭の焦点を鈍くして、しゃぼん玉みたいに宙に浮かんでいる。
— 響だョ。 (@piyopiyomiku1) March 25, 2019
ほんの小さな不具合だった。けれど、とても大事なことだった。し、それに私自身気付いていた。それを知っていながら、見過ごした。
梅雨が明けると、一気に夏がやって来た。
— 響だョ。 (@piyopiyomiku1) March 25, 2019
6月29日。佃煮の日。ビートルズ記念日。滝廉太郎の命日。(23歳で亡くなったんだ。)どんな状況の人にも、日和や天気は平等だな〜、と思った。
友達はもちろん、実家からの電話も仕送りもないし、この1ヶ月で人と話したのがコンビニの店員だけだったことに気付いて「とうとうここまで来たか」と思った。と思ったけど、もうすぐ2ヶ月だったかもしれない。(2ヶ月だった。)
— 響だョ。 (@piyopiyomiku1) March 25, 2019
ちょっと文章が粗いですね。
1ツイートずつ飛ばして載せてるけど、ちゃんと表示されていなかったら御免。
書きながら考えたこと
この女の人は優しくて誠実な生き方の人なのだけれど、その優しさゆえにある日、"大切なひとひとりの人生を救えたはずの小さな出来事を見過ごしてしまい(優しいが度を超えて何も出来なくて)、そのひとのもう帰らない笑い顔を思い出している"
みたいな状況なのかな。
なにがあったんだろう。
わたしがなぜだか知らないけど悲しかったのは、もっともっと自分では見つけられないような深い記憶が因果になってるという感じ。例えば前前前世とか。
このストーリーを読みながら、この「わたし」という女の人の誠実さと、繊細で情緒に富んだ感性にそばで触れて、この時間に思いを馳せたり、大切な感覚やなにかひとつを胸の中に灯したい。(自分自身にも。)
と思った。
違う人生に触れる、ということ。
ただ、どうしても外からの出来事が少なくなりすぎるので、ストーリーのエモさについては考えどころがあるかな、と思った。
日記形式で繰り返して、繰り返して、繰り返して、、どんどん独りの怪しげで深くて、どうしようもない心象世界にハマり込んでいく。みたいな。
げんふうけい(三秋縋)さんにはぼくは当然、相当に影響を受けているんだけれど、米津玄師さんの日記の文章にもだいぶ感化されてる。
あの一見たわいないように見えて、フラフラとまとまりよく綺麗に言葉を綴る感じとか。そのたわいない文章の中に、驚くような輝きをひとつまみ見つけ出せてしまうような。そういう執着のなさそうな言葉の綴り方がしたいけども。
うーん、心象ばっかりの描写で魅せるにはどうしよう?
なんとなくだけど、吉本ばななさんとかちゃんと読んでみようかな?
あっ、寝たい。
あ、今日は本業(?)関係のホームページのプロットが出来ました。ほとんど。
おしりっ!