『一人で上手にかけるかな。』

ぷよぷよがしたかったひとのどろどろ研究ブログ

小説のプロットをつけておこう。①

 

こんばんは。寝たいです。

寝たいと呼んでください。すみません嘘です。

 

サブアカウントで書いていた、「平成最後の夏を超えられなかった人の話」というお話のプロット、4分の1くらいですけど載せておきます。自分で確認したいと思いまして。

平成が終わる前にサッサッとげんふうけいみたいに2ちゃんに上げようかな?

あ、いまは5ちゃんって言うらしいっすね。(どうでもいい)

平成終わっちゃうもんなあ。

うーん。

うーん。

 

 

「越せないわたしを」

 

 

ちょっと文章が粗いですね。

1ツイートずつ飛ばして載せてるけど、ちゃんと表示されていなかったら御免。

 

 

書きながら考えたこと

 

この女の人は優しくて誠実な生き方の人なのだけれど、その優しさゆえにある日、"大切なひとひとりの人生を救えたはずの小さな出来事を見過ごしてしまい(優しいが度を超えて何も出来なくて)、そのひとのもう帰らない笑い顔を思い出している"

みたいな状況なのかな。

なにがあったんだろう。

 

わたしがなぜだか知らないけど悲しかったのは、もっともっと自分では見つけられないような深い記憶が因果になってるという感じ。例えば前前前世とか。

 

このストーリーを読みながら、この「わたし」という女の人の誠実さと、繊細で情緒に富んだ感性にそばで触れてこの時間に思いを馳せたり大切な感覚やなにかひとつを胸の中に灯したい。(自分自身にも。)

 

と思った。

違う人生に触れる、ということ。

 

ただ、どうしても外からの出来事が少なくなりすぎるので、ストーリーのエモさについては考えどころがあるかな、と思った。

日記形式で繰り返して、繰り返して、繰り返して、、どんどん独りの怪しげで深くて、どうしようもない心象世界にハマり込んでいく。みたいな。

 

げんふうけい(三秋縋)さんにはぼくは当然、相当に影響を受けているんだけれど、米津玄師さんの日記の文章にもだいぶ感化されてる。

あの一見たわいないように見えて、フラフラとまとまりよく綺麗に言葉を綴る感じとか。そのたわいない文章の中に、驚くような輝きをひとつまみ見つけ出せてしまうような。そういう執着のなさそうな言葉の綴り方がしたいけども。

 

うーん、心象ばっかりの描写で魅せるにはどうしよう?

なんとなくだけど、吉本ばななさんとかちゃんと読んでみようかな?

あっ、寝たい。

 

あ、今日は本業(?)関係のホームページのプロットが出来ました。ほとんど。

 

おしりっ!